はい、こんにちは。キザメです。
今回は、
一穂ミチさんの「光のとこにいてね」
を紹介していきます。
一穂ミチさんは初読みの作家さんになりますが、
「スモールワールズ」を始め、
気になる作品はありながらも触れずに来てしまいました。
この度、本屋大賞にノミネートされ。
直木賞の候補作にも選出されたということで
手に取らせていただき、読了に至ることができました。
それでは始めていきましょう。
あらすじ
――ほんの数回会った彼女が、人生の全部だった――
古びた団地の片隅で、彼女と出会った。彼女と私は、なにもかもが違った。着るものも食べるものも住む世界も。でもなぜか、彼女が笑うと、私も笑顔になれた。彼女が泣くと、私も悲しくなった。
彼女に惹かれたその日から、残酷な現実も平気だと思えた。ずっと一緒にはいられないと分かっていながら、一瞬の幸せが、永遠となることを祈った。
どうして彼女しかダメなんだろう。どうして彼女とじゃないと、私は幸せじゃないんだろう……。――二人が出会った、たった一つの運命
Amazon商品紹介ページより引用
切なくも美しい、四半世紀の物語――
見どころ
まず、率直な感想として、
とても読みやすい物語でした。
この物語は、
結珠(ゆず)と果遠(かのん)という2人の女性が主人公で、
それぞれの視点が交互に切り替わりながら展開されていきます。
それ故に、
1人の視点で見た時に「?」となる言動について、
次の相手視点の時にその真意が語られたりするので、
テンポよく読むことができました。
また、
タイトルやあらすじでも書いてあるように四半世紀の物語なのですが、
描かれているのは結珠と果遠が直接関わっていた、
計一年に満たないくらいの期間を切り取っているので、
とても濃密な気持ちの動きに触れることができます。
2人が初めて出会ったのは小学2年生の時。
週1回30分間だけの遊び相手で、
遊んだ回数も手で数えることのできる程度でした。
再会した高校1年生の時も、
4月に出会ってから梅雨に入る頃までの関りなので、
ほんの2~3か月の間の話でしかありません。
それでも、
大人になり10年以上の歳月を経ていても記憶に残り続け、
不意に会った時もすぐにお互いが認識できてしまう…。
みなさんにはこれほど強い結びつきを持てた人はいますか?
正直ここまでの強さは思い至らないですね(苦笑)
では、どうしてこの2人はここまで引き付けられたのか…?
それは、
2人がまるで正反対な子供であることと、
その一方で、2人とも母親との関係性に不和を抱えていたこと、
この2点にあるのかなと思っています。
医者の家庭に生まれ、ある意味模範的な子供として育てられた結珠
一方、
団地に住む母子家庭で育ち、自然派食品などに固執する母親のもと、いろんな物事が制限されていた果遠
別の観点で見ると、
三つ編みの仕方や時計の見方を教えてくれるなど、いろんなことを知ってていろんなことができる反面、母親の言うことは絶対でチャレンジはできない結珠
と、
お世辞にも勉強ができるわけではなく物事を全然知らないが、いろんなものに興味を持ち、思い立ったらすぐに行動できてしまう少し破天荒な果遠
このように性格も境遇も正反対なわけです。
逆に共通項として挙げた母親との不和について
簡潔に言うと、不貞と無関心
これに尽きるのかなという感じです。
さて、上記の点において、
正反対故に結珠と果遠は強く惹きつけられてしまうわけです。
もちろん正反対だから、
戸惑うことも面食らうことも、
苛立つこともあるけれど、
根幹の部分で頼ってしまうのは、
いつも結珠であり果遠なのです。
それこそ、大人になり結婚した後でも
再会してからの心のよりどころはお互いなんですね。
「私たちは全然違って、だからお互いが必要だった。」
本人たちもこう思っています。
常に思考の先にはお互いがいて、
「そばにいてくれたらいいのに」
「話を聞いてほしい」
「なんで辛い時にそばにいるのが私じゃないんだろう」
などという思いが生まれ、
それぞれが、強い独占欲で囚われています。
最後の方で、
小学2年生の時に結珠が果遠に渡した防犯ブザーが
キーアイテムになるシーンが来るのですが、
その時の、
「わたしたちはお互いがお互いのお守りだった。会えない時も、それぞれの生活に精いっぱいで思い出さえ見失う時も。それを瀬々が証明してくれた気がした。」
という言葉が、
互いの存在がそれぞれを奮い立たせ、
救い上げてきたというのがよく伝わりました。
*なお、瀬々というのは果遠の子供です。
『光のとこにいてね』
この言葉はタイトルにもなっている言葉で、
各章で登場する言葉です。
1章・2章で出て来る時は、文字通り「そこにいてね」という
意味で言っているのだと思いますが、
最後、3章でのこの言葉は、
少し含みを持たせています。
その辺りは読んで感じ取ってもらいたいところですが、
ただ、最後まで読んだときに、
この3度の「光のとこにいてね」という言葉は、
言われた結珠にも、言った果遠にも
楔のごとく彼女たちの人生に刻み込まれる言葉だったんじゃないかな
と感じました。
というのも、
作中3章で結珠が
「明るさって無情、ふと思った。光は希望の象徴だけど、照らされたら逃げも隠れもできない。嘘やごまかしを許してくれない。そして足下に影を生む。」
こんな言葉を言っており、
2章のラストで、
果遠が「光のとこにいてね」と言い、
知らない街の暗がりに駆けていくシーンを
まさにこの言葉が表しているような気がしていて、
暗闇に駆けていくというのが、
光のとこにいる結珠に生じた「影」とリンクしていて、
光のとこにいる限り、私の心は影としてあなたのそばにいるからね
という形で、
光を介しての表裏一体な存在として、
心が結びついてしまった相手となってしまったのかなと考えました。
最後のは、
こじつけが過ぎる考察かもしれませんが、
こんな考えが頭をよぎりながら読んでしまっていたので
つい話してみたくなってしまいましたm(__)m
ぜひ皆さんの感想も聞いてみたいですね。
さて、
このような短くも濃い2人の女性の四半世紀に及ぶ愛の物語…。
ぜひ読んでみてください。
終わりに
ここまで、
一穂ミチさんの「光のとこにいてね」を
紹介してきましたが、
いかがでしたでしょうか?
正直、想像していたよりもはるかに読みやすく、
また、情景描写が美しくてパッと頭に思い浮かべやすい文章でした。
一穂ミチさんの他の作品もぜひ読みたくなりました。
また、じゃんじゃん読んで記事にしていきたいと思いますので
お楽しみに♪
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